スマホアプリの「暦物語」というカレンダーアプリの面白さに気付いた。
正確には、そのアプリを通して物語シリーズの面白さに気付いた。
アプリそのものは、日めくりカレンダーのデジタル版。
日替わりで物語シリーズの登場人物の台詞を抜粋したものがフルボイスで楽しめる。
日めくりカレンダーの妙味というのは、めくる楽しさにある。
このアプリはそれをデジタルで再現し、デジタルならではの「ボイス」という追加要素で楽しさを昇華させた見事なアプリだと思った。
そして、「今日見た」という事実を「記録」する事でその日のスタンプがもらえて、一ヶ月通して毎日記録すると「スマホ用壁紙」が貰える、というオマケ要素も実によく噛み合っている。
コレクター気質のある人であれば、「毎日をコンプリートしたくなる」に違いない。
事実、俺がそうなのだ。
好きな人が更に好きになるような、それでいて楽しく飽きにくいコンテンツ。
それだけでも凄いのに、更にアプリ内で新作アニメの予告PVや、「暦物語」のアニメが楽しめるときた。
正直無料なのが勿体無い。何故ここまでしてくれるのに課金要素が一切無いのだ。
実際アプリの内容そのものは凄く地味だし、アニメ見たさに落としただけなので何が面白いのか考えもしなかったから、500円買い切りだったとしたら手が出しにくかったかもしれない。
ただ、アニメ視聴が1話100円のアンロック形式なら払ったかもしれない。
無料でここまで楽しませてくれてるのだからと、少しばかりの謝礼のつもりでスマホ用ガジェット2つとライブ壁紙を購入した。300円くらいだが。
お陰でスマホのメイン画面は忍に溢れている。ありがたや。
さて、長々と脱線してしまったがここからが本題だ。
このアプリを楽しい、と感じるようになったのはベースになっている物語シリーズが面白いからだ。
どこが面白いのか?
それは一度考えた事があるが、ハッキリとした回答は出てこなかった。
キャラはそれぞれ個性的だが、話そのもの自体はそこまで複雑でも無いし深くも無い。
どちらかと言えば「面白そうに見せる」演出に妙味がある、そんな不思議な作品だと考えた。
しかし、その時は全く加味しなかった「台詞の量と質」が面白さの隠し味だという事に、アプリを通して気付かされたのだ。
アプリでは毎日誰かしらの台詞が楽しめる。
その台詞というのは、余程面白い事を言ってないと特別楽しいものでもなく、普通は「あぁ、こんなシーンあったね」で終わってしまうものなのだ。
事実、それで終わってしまっていた。
台詞というのは、第三者がその人となりを裏付けるものである。
「その人だからこう言うだろう」「この台詞はこの人らしいな」というのはその人物の性格などを把握していないと出てこない発想であり、初対面の場合や、あまりよく知らない場合などは「こんな事を言う人なのか」と思うものである。
例えば、口は災いの元とはよく言ったもので、悪口や陰口の多い人はあまり好印象ではないので遠ざけられる事が多い。
「この人ならいい人そうだし多少は大丈夫だろう」と初めてあったその日に愚痴をこぼされても、慣れた人でもない限り聞いてる側は「なんだコイツ、ウゼェ」となるから要注意だ。
初対面は相手によく思われようと少し砕けた社交辞令から始まるものなので、いい人に見えるのは当たり前。
腹の中では相手を見透かすように様子を見てるものだ。
少なくとも、俺はそうだ。無意識でやってると今気付いた。
また脱線したので戻そう。
つまり、「暦物語」を手にした時点でアニメシリーズを全て見ている俺にとっては凄く面白いものであり、興奮のあまり「これはいいものだ!」と熱弁しようと思ったが、記事を書き進むにつれて冷静になっていき、よく考えてみたらあまり興味が無い、もしくは見たけど思い入れが特に無いという人にとっては大して面白いものでも無い、という事だ。
当然そんな人が課金なんかするわけないし、無料でも手に取らない。
今はそんな「溢れる時代」なのだった。忘れていた。
いや違う、そうではない。
間違ってはいないけど、そんな事を言い出したら紹介記事なんてものは存在理由を見失ってしまう。
「手にとってみなければこの面白さがわからない」の一言で紹介の大半は片付くからだ。
ここまで長々と読んでくれてありがとう。
続けようと思えばいくらでも続くけど、もう十分解ってもらえたと思う。
この話がいつの間にか「暦物語」の話から「自分語」にすり替わった事に。
いや、最初からそうだったか?なんてこったい。
つくづく自分の文才の無さにガッカリするのであった。
シーユーレイター、アリゲーター。
正確には、そのアプリを通して物語シリーズの面白さに気付いた。
アプリそのものは、日めくりカレンダーのデジタル版。
日替わりで物語シリーズの登場人物の台詞を抜粋したものがフルボイスで楽しめる。
日めくりカレンダーの妙味というのは、めくる楽しさにある。
このアプリはそれをデジタルで再現し、デジタルならではの「ボイス」という追加要素で楽しさを昇華させた見事なアプリだと思った。
そして、「今日見た」という事実を「記録」する事でその日のスタンプがもらえて、一ヶ月通して毎日記録すると「スマホ用壁紙」が貰える、というオマケ要素も実によく噛み合っている。
コレクター気質のある人であれば、「毎日をコンプリートしたくなる」に違いない。
事実、俺がそうなのだ。
好きな人が更に好きになるような、それでいて楽しく飽きにくいコンテンツ。
それだけでも凄いのに、更にアプリ内で新作アニメの予告PVや、「暦物語」のアニメが楽しめるときた。
正直無料なのが勿体無い。何故ここまでしてくれるのに課金要素が一切無いのだ。
実際アプリの内容そのものは凄く地味だし、アニメ見たさに落としただけなので何が面白いのか考えもしなかったから、500円買い切りだったとしたら手が出しにくかったかもしれない。
ただ、アニメ視聴が1話100円のアンロック形式なら払ったかもしれない。
無料でここまで楽しませてくれてるのだからと、少しばかりの謝礼のつもりでスマホ用ガジェット2つとライブ壁紙を購入した。300円くらいだが。
お陰でスマホのメイン画面は忍に溢れている。ありがたや。
さて、長々と脱線してしまったがここからが本題だ。
このアプリを楽しい、と感じるようになったのはベースになっている物語シリーズが面白いからだ。
どこが面白いのか?
それは一度考えた事があるが、ハッキリとした回答は出てこなかった。
キャラはそれぞれ個性的だが、話そのもの自体はそこまで複雑でも無いし深くも無い。
どちらかと言えば「面白そうに見せる」演出に妙味がある、そんな不思議な作品だと考えた。
しかし、その時は全く加味しなかった「台詞の量と質」が面白さの隠し味だという事に、アプリを通して気付かされたのだ。
アプリでは毎日誰かしらの台詞が楽しめる。
その台詞というのは、余程面白い事を言ってないと特別楽しいものでもなく、普通は「あぁ、こんなシーンあったね」で終わってしまうものなのだ。
事実、それで終わってしまっていた。
台詞というのは、第三者がその人となりを裏付けるものである。
「その人だからこう言うだろう」「この台詞はこの人らしいな」というのはその人物の性格などを把握していないと出てこない発想であり、初対面の場合や、あまりよく知らない場合などは「こんな事を言う人なのか」と思うものである。
例えば、口は災いの元とはよく言ったもので、悪口や陰口の多い人はあまり好印象ではないので遠ざけられる事が多い。
「この人ならいい人そうだし多少は大丈夫だろう」と初めてあったその日に愚痴をこぼされても、慣れた人でもない限り聞いてる側は「なんだコイツ、ウゼェ」となるから要注意だ。
初対面は相手によく思われようと少し砕けた社交辞令から始まるものなので、いい人に見えるのは当たり前。
腹の中では相手を見透かすように様子を見てるものだ。
少なくとも、俺はそうだ。無意識でやってると今気付いた。
また脱線したので戻そう。
つまり、「暦物語」を手にした時点でアニメシリーズを全て見ている俺にとっては凄く面白いものであり、興奮のあまり「これはいいものだ!」と熱弁しようと思ったが、記事を書き進むにつれて冷静になっていき、よく考えてみたらあまり興味が無い、もしくは見たけど思い入れが特に無いという人にとっては大して面白いものでも無い、という事だ。
当然そんな人が課金なんかするわけないし、無料でも手に取らない。
今はそんな「溢れる時代」なのだった。忘れていた。
いや違う、そうではない。
間違ってはいないけど、そんな事を言い出したら紹介記事なんてものは存在理由を見失ってしまう。
「手にとってみなければこの面白さがわからない」の一言で紹介の大半は片付くからだ。
ここまで長々と読んでくれてありがとう。
続けようと思えばいくらでも続くけど、もう十分解ってもらえたと思う。
この話がいつの間にか「暦物語」の話から「自分語」にすり替わった事に。
いや、最初からそうだったか?なんてこったい。
つくづく自分の文才の無さにガッカリするのであった。
シーユーレイター、アリゲーター。
コメント
私もそっち側が向いていると思った時がある。言われたこともあるw
人を幸せに出来るならそれもアリだとは思いますよ。
何だかんだで貝木さんはヶ原さんの助けになって撫子を救うわけだし。